2026/03/31

「子ども・子育て支援金制度」を深掘りする

26年4月にスタートした 「子ども・子育て支援金制度」を深掘りする

「独身税」導入による“ステルス増税”か?

問われる「支援金」という言葉選びのカラクリ

進むステルス増税、「食料品消費税ゼロ」の闇

2026年4月から政府の「子ども・子育て支援金制度」がスタートした。これは岸田政権が掲げた「異次元の少子化対策」に基づく制度である。理念は“子育て世帯を社会全体で支える”というものだ。この方針の下で、子育て世帯に支援金を給付(支給)する仕組みがつくられた。支援金の活用メニューは幅広い。子育て世帯を多面的に支えるために、次の6つのプログラムが用意されている。

1.児童手当=拡充、2.育児時短就業給付=賃金の10%支給、3.育児期間中の国民保険料=子が1歳まで免除、4.妊婦のための支援給付=10万円相当、5.出生後休業支援給付=夫婦の育休支援で手取り10割相当、6.こども誰でも通園制度=乳児等通園支援事業で月10時間まで利用可能

給付(支給)を受ける側から見れば「支援金」だが、負担する側からすれば「支援納付金」にほかならない。制度設計を担った役人は財源確保にあたり、負担する側からの反発の大きい「税」方式を避けた。代わりに公的医療保険の保険料(医療保険料)に上乗せする形で新たな「納付金/負担金」を徴収する道を選んだ。

政府は、昨今の反増税・反社会保険料増徴のポピュリズム政治の流れを強く意識している。そのため、支援納付金は税でも社会保険料でもないと言い張る。しかし、「国民負担」とは本来、税と社会保険料の合計を指す。その枠組みの中で、支援納付金がどこに入るのかははっきりしない。制度が税なのか。社会保険方式に近いのか。それとも第三の負担なのか。その位置づけは、いまも不透明なままだ。

この制度には、とりわけソーシャルメディアでは厳しい批判が広がっている。「支援納付金」という衣をまとった“ステルス増税”だとの批判が相次いでいる。給付(受給)対象が子育て世帯に限られることから、「独身税(bachelor’s tax)」との反発も強い。

こうした中で、この政策を進めた「こども家庭庁」の存在意義が問われている。むしろ、新たな省庁の設置こそが「大きな政府」を招いているという指摘もある。その結果、理解しがたい負担や、隠れた増税(ステルス増税)につながる政策が生まれているとの批判も強い。省庁を増やすなら、やはり「ゼロベース原則」で考えないといけない。

こども家庭庁を解体し、その財源を支援金に回せばよいーーー。そうすれば、独身税のような裏口増税は不要になるはずだ。こうした主張は、国民の間で広がりつつある。正論ではないか。

新しい省庁がつくられると、たいてい自らの権限や縄張りを固めるために、独自の“サイフ”、つまり「特別会計(特会)」を欲しがる。今回も例外ではなく、「子ども・子育て支援特別会計」が新たに設けられた。こうした制度がいったん動き出すと、縮小どころか肥大化の道をたどるのが常だ。「小さな政府」への回帰など望むべくもない。むしろ「大きな政府」へ向けて膨張し続ける。“とまらない、とめられない”。

政官は、手を変え、品を変え、国民負担を増やそうとする姿勢を続けている。今回の子ども・子育て支援金(支援納付金)のように、「支援金」という言葉選びのカラクリ、「税」という名を外せば負担をいくらでも増やせると考えるのは誤りだ。

一方で、先の参院選で与党が掲げた「食料品消費税ゼロ」の公約は、遅遅として進まない。議論は、国会ではなく、役人が背後で仕切る「社会保障国民会議」のような国民には見えにくい場に委ねられた。明らかに火消しを狙った時間稼ぎに映る。巨大与党の誕生で存在感が薄くなった右寄りの弱小野党までもが、この役人主導の大政翼賛会に集まりだした。これでは、議会制民主主義や財政民主主義が崩壊する。正々堂々と国会で議論しないといけない。

政府寄りのオールドメディアも、民意を逆なでする記事を平然と載せる。日経(26.03.31)の「消費税ゼロ、反対66%」という見出しは、その典型だ。同じ日の紙面(大機小機)で、複雑怪奇で時代遅れの給付(還付)つき税額控除/勤労所得税額控除(RTC/EITC)を礼賛する。この制度ではわずかばかりの給付(還付)を受けるのに働いても生活が苦しい人たちに複雑な還付申告を強いる。誰にコンプライアンス(納税協力)負担が及ぶにかという視点が欠けている。「公平」というお題目のもとで制度を複雑にすれば、最も傷つくのは低所得者だ。零細事業者も、納税協力の負担で疲弊する。それでもなお、制度を持ち上げる論調が続く。そこに、現場の痛みへの想像力はない。

時代は大きく変わりつつある。 生成AIやフィジカルAI、ロボットが、人間の頭脳労働や肉体労働を代替する領域は確実に広がっている。その結果、「働いて所得を得る」という従来の価値観は揺らぎ始めた。この変化に合わせた、新しいセーフティネットの構築は急務である。複雑な制度では、変化のスピードに追いつけない。 求められるのは、次世代型の簡素で普遍的な仕組みだ。

その一つが、AI時代に対応したベーシックインカム、すなわち最低所得保障制度である。 誰もが最低限の生活基盤を確保できる制度が、これからの社会には不可欠になる。

政府は、当初から、子育て支援金(支援納付金)導入による「実質的など負担は生じない」と説いてきた。社会保障の歳出改革などにより負担が相殺されるからだという。しかし、どう見ても、カラクリである。子育て支援金(支援納付金)は「独身税」で、ステルス増税との批判はあたっている。

もう1つのカラクリがある。「食料品消費税ゼロ」である。消費者から見ると、「ゼロ」は、非課税でもゼロ税率(免税/0%で課税)でも、どちらも消費税がかからない点は同じに見える。しかし、事業者にとっては決定的に違う。ゼロ税率(免税/0%で課税)なら仕入れ時に払った消費税を控除できる。一方、非課税では仕入れ時に払った消費税控除ができない。その分が「損税」となり、事業者の負担として積み上がる。この負担を避けようとすれば価格へ上乗せせざるを得ず、最終的には消費者が負担することにつながる。とりわけ、インボイス制度で事務負担が重く、価格転嫁が難しい零細事業者にとっては深刻である。損税が積み重なれば、事業の継続そのものが危うくなる。これが「消費税ゼロ」の“カラクリ”である。

与党は、衆院で絶対多数を占めるのだから、首相が決断すれば、公約はすぐにも実行できるはずだ。消費税減税をヤル気がないのが透けて見えてくる?

だが、「食料品消費税ゼロ」の公約が、単なるポピュリズム的な政治イベント、キャッチコピーに終わることは許されない。それにもかかわらず、子育て支援金(支援納付金)ステルス増税は進み、消費税減税は闇のなかだ。

トランプ政権のイラン攻撃で、石油危機、円安でインフレ悪化は必至だ。にもかかわらず、子育て支援金(支援納付金)のようなステルス増税は進み、一方では消費税減税は闇のなかに置き去りにされている。こうした不透明で優柔不断なやり方が続けば、国民の政治不信はさらに深まるだけである。

2026/03/02

トランプ政権のイラン攻撃とアメリカで勉強中の頃のイラン人学友の思い出

アメリカのトランプ大統領がイランを相手に戦争をはじめた。核開発をめぐる協議をしている最中にいきなり攻撃をはじめる。トランプ氏に政治姿勢には驚く。世界経済は大混乱に陥ることは避けられない。

もっと驚くのは、トランプ氏の顔色をうかがう日本を含む各国の政治家の姿勢である。

アメリカのワシントンD.C.にいた頃を思い出した。50年近く前になる。当時、イランはパーレビ国王(シャー)の時代であった。イランは親米の国で、たくさんの国費留学生をアメリカの大学へ送っていた。大学の同じ教室で出会った2人のイラン人学友のことを思い出した。

1人は、ワシントンD.C.のイラン大使館に勤める外交官。ポトマック河畔のウオーターゲートビル近くの夜景がすばらしいハイライズマンションに住んでいた。ロイヤリストで、パーレビ国王支持の模範的な夫婦であった。教員と私の2人を、食事会に招いてくれた。イラン風の美味しい食事をごちそうになった。

もう一方の学友の家庭にも招かれた。彼は、リベラル派の学生で、猛烈にシャー国王体制に批判的だった。彼の妻がときおり、彼に発言に気を付けるように促していた。こちらの食事会では、アルコール三昧で、すごく欧風化していた。

大学の授業には、アメリカ人のほか、いろいろな国から来た学生がいた。にもかかわらず、どうして自分を招いたのか聞いた。どちらの学友も、答えは、「日本が大好きだから!」。

今回のトランプ氏のイラン攻撃で、ふと昔を思い出した次第だ。

その後、イスラム革命があり、2人は、アメリカに残ったのか、母国へ帰ったのはわからない。50年近く前のことだから、両人とも、もう生きていないかも知れない。過去をたどるのは難しい。

アメリカは、宗教政権崩壊後、パーレビ国王の息子を後釜にするプランもあるとも聞く。だが、時代錯誤、至難ではないか?

日本人は、当時から、国際社会では、平和を愛する国民であるという「ブランド」があったような気がする。政治家には、この平和ブランドを傷つけないような発信を願いたい。

2026/02/23

米連邦最高裁は「トランプ関税」にノー、わが国の民意は「政党乱立」にノー

先の衆院選では、民意が政党乱立に明確なストップをかけた。一方、アメリカでは2026年2月20日、連邦最高裁が「トランプ関税」にノーを突き付けた。国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づいて課した相殺関税を「違法」とした「 Learning Resources, Inc. v. Trump 事件」判決である。

関税男(tariff man)の暴走にブレーキをかけたこの判決は、世界から歓迎されている。

この判決は、司法が「混乱と力による世界貿易支配はアメリカの利益にならない」と断じたものと読める。伝統的な三権分立を重視し、関税をかけるのは議会の権限であり、大統領令で関税を課すのは、権限踰越(ultra vires)で「違法(illegal)」であると断じた。【ちなみに、判決は「違憲(unconstitutional)」とは言っていない。】

連邦憲法は、「租税法律主義」を規定している(1条8節1項)。つまり、議会が法律で租税や関税などを課すルールを定めている。大統領令で課せるとは書いていない。これは予測可能性や法的安定性を確保することが目的のためだ。トランプ流のポピュリズム的租税政策は、大統領令で日々上書きされ、先行きが不透明である。明らかに予測可能性や法的安定性を失している。

この判決で、連邦最高裁は、大統領令による議会の課税権限の無秩序な介入に歯止めをかけた。同時に、大統領への権限集中が連邦議会の機能不全を招いていることへの警鐘とも受け取れる。 今回の判決は、トランプ流政治手法への戒めのメッセージといえる。

連邦最高裁は、唯我独尊的な統治スタイルや「破壊的創造(disruption)」を繰り返すトランプ政治に対し、鎮静化の役割を果たそうとしているのかもしれない。

現在の連邦最高裁は、保守派6人・リベラル派3人で構成されている。今回のIEEPA関税事件違法判決は6対3で決せられた。つまりリベラル派3人と保守派3人によって形成された。

保守派判事の意見書には示唆がある。自分を選考したのはトランプ大統領であっても、特定の個人の意向に沿って判断すべきではないという姿勢だ。むしろ、国民が選んだ代表の判断こそ尊重されるべきだと強調している。強いリーダーへの権限集中に対する警鐘でもある。

意見書を書いた判事の中には、トランプ大統領が名指しで批判した超エリート大学の出身者もいる。彼らは、ポピュリズム的分断をあおるいまの政治手法に強い疑問を抱いているはずである。アメリカの議会制民主主義の行方を深く憂慮しているのではないか。国家の品格を保つためにも、座視できないと感じているはずだ。今の流れを変えたいという思いがあるはずだ。

とはいえ、保守派判事が多数を占める最高裁が、政権交代に過度な期待を寄せているようには見えない。むしろ、自ら司法として、荒っぽいトランプ政治で傷ついた民主主義を立て直す責任を感じているのではないか。最高裁判事は終身任用である。この立場を背景に、今後も正義につながる司法判断を積み重ねていくことが期待される。

翻って、わが国でもアメリカと似た政治の動きがある。 新党が生まれては消える状況は、まるで日持ちのしない流行歌のようである。

ニューメディア主導の票欲しさのポピュリズム政治や、ポピュリズム減税論議、非現実的な反移民プロパガンダなどに、多くの国民は疲弊している。

先の衆院選では、こうした議会制民主主義を疲弊させる動きを止めたいという大きな流れが生まれた。「毒には毒をもって制す」。右寄りの自民一強、いわば“ビッグ自民”を成立させ、右ならえの少数政党乱立に終止符を打ちたいという民意が働いたように思える。

参政、保守、国民民主のように“一国一城の主”を思わせるポピュリストは、勢いがあっても民意が変われば失速しやすい。戦国時代に活躍した武将で、庶民を本当に幸せにできたつわものがいたとは聞かない。

集散離合も政治の一部ではある。しかし、大政翼賛会的な状況は議会制民主主義を破壊する。ビッグ自民が必ずしも望ましいとはいえない。とはいえ、わが国の司法にアメリカ司法のような「世直し」役を期待するのは難しい。

「アメリカがカゼを引くと日本は肺炎になる」。その言葉は今も重い。対米追従には問題があるが、今の流れを変える必要がある。そのためには、11月3日の米連邦議会中間選挙で、民主党が勝利することに望みを託すしかない、という見方には一理ある。

2026/02/02

 「食品消費税ゼロ」の意味 「ゼロ税率(0%課税/免税)」か、「非課税」か?

2026年2月8日の衆議院選挙を前に、主要政党は競うように「食料品消費税ゼロ」のスローガンを掲げました。争点を潰す意図も見られ、各党がポピュリズム色の強い減税方針へと流れました。 

しかし、この「ゼロ」が、「ゼロ税率(0%課税・免税)」なのか、「非課税」を意味するのかで正体不明です。政党トップが出演したTVの討論会でも、「ゼロ税率(0%課税/免税)」と「非課税」の違いが十分に理解されていないことが明らかになりました。また、新聞報道では「非課税」と判断する動きもあります。しかし、この問題で記者が十分な知見を持っていないと思われるケースも少なくありません。与党や財務省は、「非課税」扱いで、税収減というよりは、実質大増税を企んでいるとの見方もあります。

この違いは、極めて大きいのにもかかわらず、各党の選挙公約からだけでは見えてきません。まさに「ゼロのからくり!」です。有権者自身によるファクトチェックも欠かせません。生活者や政治家も、専門的な知識がないままの感覚では、「ゼロ税率(0%で課税/免税)」より「非課税」の方が?お得“に感じるかも知れませんが・・・・。実際は真逆です。食料品の「非課税」扱いは、逆進対策としての機能は期待できません。むしろ、使われ方次第では、“増税の呼び水“なる可能性すらあります。

「非課税」となると、事業者は仕入れ時に支払った消費税を控除できず、「損税」【事業者が仕入にかかった消費税を負担してしまう問題】を抱え込むことになります。価格転嫁が難しい零細事業者ほど負担が重くなるため、弱い立場の事業者にしわ寄せが集中します。医療機関が社会保険診療サービス「非課税」扱いによって高額機器などの購入時に仕入税額控除を受けられず、経営を圧迫している現状が、その典型例です。

消費者から見ると、「非課税」も「ゼロ税率(0%課税・免税)」も?税がかからない“という点では同じに見えます。しかし、「非課税」によって食料品販売事業者に発生した損税が価格に転嫁されれば、結果的に消費者が負担することになります。「非課税」扱いは、見かけ上は?消費税がかからない”であっても、実質的には?増税の呼び水“になるという指摘は、この点に基づいています。

また、食料品が「非課税」となれば、大規模農家で、大型機械や備品、肥料、農薬など多額の購入しないといけない事業者は、医療機関と同様の問題が生じる可能性があります。インボイス制度で負担が増している零細事業者にとっては、さらに厳しい状況となります。

このように、食料品に対する消費税「非課税」は真の意味での逆進対策にはなりません。事業者にも消費者にも望ましい制度とは言えません。一方「軽減税率」を採用すると、税制が「複雑」になります。事業者の損税を生まない「ゼロ税率(0%課税・免税)」の選択こそが、事業者にも生活者(消費者)にもベストな選択であると考えられます。

2025/08/27

日経のミスト氏の記事「患者を救うのは消費税だ 〜病院再生、医療費に課税を」(25年8月25日朝刊)を深読みする

【「患者を救うのは消費税“ゼロ税率”だ」〜ろうに?】

日経記者ミスト氏(匿名)は、記事「患者を救うのは消費税だ〜病院再生、医療費に課税を」(25年8月25日朝刊)を掲載した。

ミスト氏は説く。医療機関の公的保険医療サービスが、消費税の非課税取引になっている。このため、医療機関は仕入税額控除ができない。「損税」が発生する。税の累積排除ができるように、「課税取引」にすべきだ、と。

授業料などが非課税となっている大学なども同じ「損税」問題に遭遇している。ミスト氏は、国際医療福祉大学などでレクをしたこともあり、とりわけ医療に関心が深いのかも知れない。

ミスト氏は説く。消費税導入時に、財政当局は、医師会や患者団体などからの政治的圧力をかわすために、「非課税」で妥協を図ったと。どうだろうか?実際は「非課税」導入は、「ゼロ税率つぶし」が狙いだった。導入前の政府税調などでの議論を読めば「真実」がわかる。

ミスト氏は、課税取引にし、軽減税率の適用も選択肢になると説く。ミスト氏の保険医療サービス課税取引案は、踏み込みが足りない。というよりは、生活者を苦しめる主張そのものだ。課税取引になったら、軽減税率でも患者は8%(現行)の負担が強いられることになる。

オーストラリアでは、保険医療サービスはゼロ税率での課税だ。つまり、消費者である患者は、0%で課税。だから実質無税である。一方、事業者である医療機関が提供する保険医療サービスは課税。だから、仕入にかかった税額を控除できる。古くなった病院の再建も容易だ。

ミスト氏は、保険医療サービスへのゼロ税率課税の仕組みがあることを意図的に知らせないようにしているではないか。知見不足とは思えない。専門家のなかでは半ば常識である「ゼロ税率」には一言もふれない。ふれないように記事をまとめる書きっぷりは、この御仁の生き方を表しているのだろう。見方によっては「悪意あるカラクリ」とも思えるのだが?

ミスト氏の提案が正夢になればどうなるのだろうか。消費財源の浸食を危惧する財政当局を忖度し、連中を大喜びさせることになる。一方、生活者を重税で苦しむ、そんな結果になる。タイトルを「患者を“苦しめる”のは消費税だ」あるいは「患者を救うのは消費税”ゼロ税率”だ」に替えた方がよい。

ミスト氏は、熱烈なマイナンバー歓迎派だ。金融プライバシーなど要らないの論調で財政当局に肩入れする。この御仁、話術には長けているのかも知れない。だが、生活者の視点を操ることが多く、あまり誠実な記者には見えない。監視が必要だ。

  多くの日経新聞の読者はバイアスのない記事を求めている。

2025/07/21

「硬性憲法」、「軟性憲法」

荒っぽいトランプ政治に痛めつけられているアメリカのリベラルな研究者が吐露している。「民主主義は独裁者をうむ可能性を秘めている。しかし、同時に、その民主主義が独裁者を排除できる可能性も秘めている。」と。

アメリカは、わが国と同様に、改正(修正)が難しい憲法を持っている。専門用語では、こうした憲法を「硬性憲法」という。硬性憲法を持っていることは、終身の独裁者を産むのを妨げ、民主主義が壊れても復元を可能にする。

トランプ氏による、いわゆる「青刈り(民主党支持のウオーク系/意識高い系の排斥)」が止まらない感じだ。ポピュリスト政治で、国の基本的な仕組みが壊れてしまうのではないか、と心配になる。

ただ、そんなトランプ氏もその任を終えれば、MEGAの熱狂も冷め、民主主義に復元できるのではないか。なぜならば、連邦の憲法は「硬性憲法」で、とても改正(修正)が難しいからだ。

わが国の憲法(日本国憲法)は硬直化している。だから、ガラガラポンして、新しい、改正しやすい「軟性憲法」をつくるべきだ。こんな主張がある。

例えば、参政党は、「国民主権」をやめて、「国家主権」の憲法を制定すべきだ、という。こうした主張は、終身の独裁者を目指すポピュリストから発せられることが多い。また、他のポピュリスト政党は、「憲法をもっと改正しやすくすべきだ!」と唱える。

わが国は憲法改正して、大統領制を導入すべきだ、憲法裁判所を創り国会がその裁判官を選ぶべきだ。こんな主張は危なすぎる。とりわけ、一過性の危ない主張に流されやすい、集団ノイローゼに走りやすい。こんな国民性の国には似合わない。SNS(ソーシャルメディア)を使い、ネット空間に、誰でもファクトチェックの甘い自分の意見を拡散できる時代である。「軟性憲法」実現に向けた“創憲?”など絶対に止めた方がいい。

それから、ネットやデジタル化の流れを軽視してはいけないと思う。回りまわって、自分がネットやデジタルにのけ者にされかねないからだ。

2025/05/26

「マイナん(Non)仏」、「まいなんぶつ」のネット辻説法できる議員・政党を求む!!

マイナンバー制度のエスカレート利用はいまや“危険水域”を越えている。国の役人はやりたい放題だ。民間利用をどんどん拡大するプランが目白押しだ。家庭のなかまで深く入り込んできている。だが、政党・政治家からはほとんど異論が出ない。「上級国民」を別物とし、政治にかかわるカネの番号監視が見逃されているからだろう。

だが、このままでは、日本は、隣の大国以上の背番号でデータ監視された権威主義国家に成り下がる。国民の自由、経済の自由を大事にしないと、この国はデータ収容所列島化する。

デジタル化は、IT利権を支え、データ監視国家(デストピア)をつくるツールであってはいけない。国民に利便を与え、自由と人権の保障に資するものでないといけない。

東京都杉並区や渋谷区が、後期高齢者だけでなく、国保加入住民全員に、資格確認証を交付するとアナウンスした。この問題で、「言うだけ番長」の野党の姿勢にしびれを切らしてのことだろう。

国の役人は、これらの自治体にリベンジをしようとするだろう。今の既存野党に、これら抵抗自治体のサポート、後押しを期待できるのであろうか?既存野党は、口先介入、やった振りはするかも知れない。だが、この面でのかれらの実績が乏しい。ほとんどのケースで“国の指示待ち自治体側”に立ってきたからである。司法も、行政追従の姿勢が強い。三権分立、“独立した判断”は今一つで、あまり期待はできない。

民主は、マイナンバー制度導入の立役者。マイナンバー制度導入の立役者に「制度廃止」を訴えても、空念仏だろう!!役人がつくったマイナンバーの拡大利用案が出てくると、「慎重審議」程度の抵抗。共産も似たような常態だ。

民主のリベラル派や共産の議員に働きかけても、「マイナ廃止は、もう、あきらめよう!」という雰囲気を感じる。議員会館などで開かれる市民団体の会議に出てきても、大方の議員は「反対の振りしているだけ」のように見える。市民団体側も慣れ合いそのもの。でも、これでは、ダメだ。

役人による背番号監視国家つくりは、いまや度を越えている。制度拡大を憂慮している政治家も少なくないはずだ。

PIJは、超党派の団体だ。主義・主張を越えて、マイナ憂慮派を“発掘”し、まとめる活動に取り組んでいこうと思う。

となると、ときには「劇薬」も必要だ(-_-;)!!

「コメは5キロで2千円!」。これは、かなりの劇薬だ。

「マイナ廃止!」も同じだろう。

ツベコベ言わずに、ともかく「マイナンバー廃止法案」を世に出す。

で、役人によるデータ監視国家つくりストップ!で、一石を投じないといけない。

“この指止まれ!”式で、流れをつくれば、他の政党や政治家も、丸で他人事、座視、はできないはずだ。

ということで、PIJは、「マイナん(Non)仏」、「まいなんぶつ」のネット辻説法できる議員・政党に期待をかけることにした。5月28日に開かれたPIJ定時総会で決まったことだ。

PIJの相談役に期待が集まっている。

結果はともかく、政策の“起業”では「もがき」も大事である。これをストップしてしまうと、狡猾な役人の思うつぼだからだ。

マイナ政策では、国の役人とガッツリ四つで対峙できる野武士タイプの政治家・政党が求められている。

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