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自由人権協会(JCLU)は、わが国の伝統的な人権団体の一つです。JCLUのHPを見ると、この団体が数多くの人権問題に精力的に取り組んできている姿がうかがえます。頑張って欲しいと思いながら、いつも、JCLU のHPを観ています。
JCLU情報公開・個人情報保護小委員会が中心となって、政府の「国民ID制と共通番号制」構想についての意見書をまとめたとのことです。
そして、2010年6月14日に、「個人情報を保護するとともに社会のパノプティコン化を防止するための意見書」(「意見書」)を発表しています。(http://www.jclu.org/file/panopticon-boushi-ikensho.pdf)
その後、この意見書は、政府の「社会保障・税に関わる番号制度に関する検討会」に提出されたとのことです。
PIJの一会員としてPIJのトーンに慣らされてきた者としては、この意見書に、もの足りなさ、JCLUの姿勢への違和感、を感じました。それで、PIJ事務局へお願いして、私の「異見」を掲載させてもらいました。
まず、「パノプティコン化」って何?かが、分かりませんでした。多分、このJCLU意見書を作られた方は、アイデアパースン(アイディアマンと言った方が分かり易いですよね。でも、性差別を避けようとすると難解な言葉になる・・・)なのでしょうけど。インターナショナルでない平市民のひとりとしては、まず、「パノプティコン化」とか言った言葉の使用は止めて欲しいと思います。
簡単にいえば、中央政府が市民の情報を集約的に取得・保有する一方、市民間では情報の流通が抑制されているかたちの“収容所列島化”、“監獄社会化”を意味するようですね。しかし、何で、もっと簡単な言葉を使わないのかなぁ〜と、平市民は感じてしまいました。
ほとんど、タイトルを見ただけでは、何を言っているのか分からない、政府の「国民ID制と共通番号制」構想についての意見書とは思いません。
あるいは、JCLUは、いやいやながら、この意見書を出したのか? と、疑ってしまいます。分かり易いタイトルを使って欲しいと思います。
意見書では、住基ネットとかIT技術を利用して、「日本において、個人情報は国(行政)が一方的に収集・利用し、民間ではこれが過度に制限されている状況、いわゆるパノプティコン社会に近づきつつあると言わざるをえない。」と指摘しています。だったら、当然、国民ID制とか、共通番号に反対だよね、と平市民は思ってしまいましたが・・・・。
ところが、この意見書では、「仮に本格的に国民IDや税と社会保障の共通番号制の導入が検討されるのであれば」とし、政府の提案に積極的に反対していないのですね。
それどころか、住基ネットがあり、すでに住基カード(電子認証カード)があるのに、国民ID〔カード〕を導入しようとする本当の狙いは、電子政府の推進ではなく、「国民皆身分証明書携行制度」、「現代版電子通行手形」の導入にあることははっきりしているわけです。ところが、この意見書では、まったく触れていないわけです。要するに、何のための意見書なのか、大きな疑問符が付いていると思います。
さらに、むしろ、意見書は、電子政府、行政の電子化には時代の要請であることから、共通番号導入は仕方がないとのトーンなのですね。
いずれにしろ、それで、意見書では「付番をデータベース毎にした場合〔中略〕セパレートモデルにおいては、必要に応じてデータベース間で情報のやりとりを行う場合、各データベースにおける個人の同一性確認を行う方法が困難という問題があるが、オーストリア方式〔セクトラルモデル〕などを参考にして各データベース上の番号を暗号化された非公開番号で紐付けするといった処理すること可能である。」とか・・・・。
確かに、政府の「番号に関する原口5原則」(2010年3月15日)では、データベース相互間の横断的なリンケージにハードルを設けるねらいからセクトラルモデルの採用を示唆しています。
ところが、オーストリアの場合、秘匿の汎用番号(sourcePIN)から第三者機関(DSK=データ保護委員会)を仲介させて分野別限定番号(ssPINs)を生成・付番する仕組みや手続が非常に厄介なようです。
それに、このモデルを採用するオーストリアの人口は約809万人程度ですが、一方の日本の人口は約1億2,760万人(約16倍)でしょう。1億を超える人口がいるのですから、コスト負担への疑問だけでなく、こうした複雑な仕組みや手続を使って番号制度を実効的に運用できないのではないか、と思います。
もちろん、意見書でも、技術的に「可能である」ということでしょうけど・・・。しかし、現実的には「不可能」ではないか?と思います。
ドイツとかで採用する分野別に異なる番号を採用するセパレートモデルは、非効率なのは当り前です。この非効率でもって、人権を守っているわけですから・・・・。一つの番号を多目的利用する共通番号には、人格権を公有化する仕組みですから、正面から反対すべきだと思います。
共通番号導入に消極的ながら“OK”を出したうえで、情報セキュリティ対策のうんぬんに終始する意見書を出すJCLUは、人権団体としていかがと思います。政府提案に“呼び水”的な意見を出す人権団体は、その存在意義が問われてしまいます。
こうした意見書は、プライバシーに関する人権問題に真摯に奔走している団体が活動し難くなるので、出さないで欲しいと思います。もっと、勉強してください。
これでは、JCLUが、「基本的人権の擁護」よりも、「公益の代表者」のように見えてきて、JCLUの活動に期待している者の一人として、とても残念です。
JCLUは、わが国の代表的な人権団体として、しっかりしたスタンスを保ってください。
関西在住PIJ一会員
PS PIJ会員からの要望によりHP掲載をしました。PIJ事務局
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自由人権協会(JCLU)は、わが国の伝統的な人権団体の一つです。JCLUのHPを見ると、この団体が数多くの人権問題に精力的に取り組んできている姿がうかがえます。頑張って欲しいと思いながら、いつも、JCLU のHPを観ています。
JCLU情報公開・個人情報保護小委員会が中心となって、政府の「国民ID制と共通番号制」構想についての意見書をまとめたとのことです。
そして、2010年6月14日に、「個人情報を保護するとともに社会のパノプティコン化を防止するための意見書」(「意見書」)を発表しています。(http://www.jclu.org/file/panopticon-boushi-ikensho.pdf)
その後、この意見書は、政府の「社会保障・税に関わる番号制度に関する検討会」に提出されたとのことです。
PIJの一会員としてPIJのトーンに慣らされてきた者としては、この意見書に、もの足りなさ、JCLUの姿勢への違和感、を感じました。それで、PIJ事務局へお願いして、私の「異見」を掲載させてもらいました。
まず、「パノプティコン化」って何?かが、分かりませんでした。多分、このJCLU意見書を作られた方は、アイデアパースン(アイディアマンと言った方が分かり易いですよね。でも、性差別を避けようとすると難解な言葉になる・・・)なのでしょうけど。インターナショナルでない平市民のひとりとしては、まず、「パノプティコン化」とか言った言葉の使用は止めて欲しいと思います。
簡単にいえば、中央政府が市民の情報を集約的に取得・保有する一方、市民間では情報の流通が抑制されているかたちの“収容所列島化”、“監獄社会化”を意味するようですね。しかし、何で、もっと簡単な言葉を使わないのかなぁ〜と、平市民は感じてしまいました。
ほとんど、タイトルを見ただけでは、何を言っているのか分からない、政府の「国民ID制と共通番号制」構想についての意見書とは思いません。
あるいは、JCLUは、いやいやながら、この意見書を出したのか? と、疑ってしまいます。分かり易いタイトルを使って欲しいと思います。
意見書では、住基ネットとかIT技術を利用して、「日本において、個人情報は国(行政)が一方的に収集・利用し、民間ではこれが過度に制限されている状況、いわゆるパノプティコン社会に近づきつつあると言わざるをえない。」と指摘しています。だったら、当然、国民ID制とか、共通番号に反対だよね、と平市民は思ってしまいましたが・・・・。
ところが、この意見書では、「仮に本格的に国民IDや税と社会保障の共通番号制の導入が検討されるのであれば」とし、政府の提案に積極的に反対していないのですね。
それどころか、住基ネットがあり、すでに住基カード(電子認証カード)があるのに、国民ID〔カード〕を導入しようとする本当の狙いは、電子政府の推進ではなく、「国民皆身分証明書携行制度」、「現代版電子通行手形」の導入にあることははっきりしているわけです。ところが、この意見書では、まったく触れていないわけです。要するに、何のための意見書なのか、大きな疑問符が付いていると思います。
さらに、むしろ、意見書は、電子政府、行政の電子化には時代の要請であることから、共通番号導入は仕方がないとのトーンなのですね。
いずれにしろ、それで、意見書では「付番をデータベース毎にした場合〔中略〕セパレートモデルにおいては、必要に応じてデータベース間で情報のやりとりを行う場合、各データベースにおける個人の同一性確認を行う方法が困難という問題があるが、オーストリア方式〔セクトラルモデル〕などを参考にして各データベース上の番号を暗号化された非公開番号で紐付けするといった処理すること可能である。」とか・・・・。
確かに、政府の「番号に関する原口5原則」(2010年3月15日)では、データベース相互間の横断的なリンケージにハードルを設けるねらいからセクトラルモデルの採用を示唆しています。
ところが、オーストリアの場合、秘匿の汎用番号(sourcePIN)から第三者機関(DSK=データ保護委員会)を仲介させて分野別限定番号(ssPINs)を生成・付番する仕組みや手続が非常に厄介なようです。
それに、このモデルを採用するオーストリアの人口は約809万人程度ですが、一方の日本の人口は約1億2,760万人(約16倍)でしょう。1億を超える人口がいるのですから、コスト負担への疑問だけでなく、こうした複雑な仕組みや手続を使って番号制度を実効的に運用できないのではないか、と思います。
もちろん、意見書でも、技術的に「可能である」ということでしょうけど・・・。しかし、現実的には「不可能」ではないか?と思います。
ドイツとかで採用する分野別に異なる番号を採用するセパレートモデルは、非効率なのは当り前です。この非効率でもって、人権を守っているわけですから・・・・。一つの番号を多目的利用する共通番号には、人格権を公有化する仕組みですから、正面から反対すべきだと思います。
共通番号導入に消極的ながら“OK”を出したうえで、情報セキュリティ対策のうんぬんに終始する意見書を出すJCLUは、人権団体としていかがと思います。政府提案に“呼び水”的な意見を出す人権団体は、その存在意義が問われてしまいます。
こうした意見書は、プライバシーに関する人権問題に真摯に奔走している団体が活動し難くなるので、出さないで欲しいと思います。もっと、勉強してください。
これでは、JCLUが、「基本的人権の擁護」よりも、「公益の代表者」のように見えてきて、JCLUの活動に期待している者の一人として、とても残念です。
JCLUは、わが国の代表的な人権団体として、しっかりしたスタンスを保ってください。
関西在住PIJ一会員
PS PIJ会員からの要望によりHP掲載をしました。PIJ事務局