2023/04/22

通常国会でのマイナ法改悪案のストップは至難、新たな展望が要る!!

通常国会でのマイナ法改悪案は、与党ばかりか、維新のような野党まで賛成で、通過の勢いだ。マイナ要らない運動体も、国会内では各党への精力的な陳情を続けている。しかし、同時に、こうした従来の運動手法では、流れを変えられないこともはっきりしてきた。

市民からPIJへさまざまな声も寄せられている。

≪PIJへの1市民の声1≫

マイナ要らない運動は、頑張っていると思う。ただ、他人のふんどし(既成政党依存)で、ムシロ旗・竹やり、玉音放送の解説のネット拡散の手法では、行先不透明。運動のゾンビ化、絶滅危惧種を防ぐには、自分のふんどし(新党)で相撲とらないと、闘いにならないのではないか?

参政党、旧NHK党(勢いが別の方向へ加速し転落しそうだが。)・・・・自分のふんどし(新党)をしめて、政治の土俵で闘おうと試行錯誤している。マイナ要らない運動も新党が要るのはないか?今回の自治体選挙でも、無投票当選が増えている。チャレンジする好機ではないか?

≪PIJへの1市民からの声2≫

マイナ要らない運動、マイナ改悪案の国会闘争 呆れます。 自分らだけによる、囲い込み「反対オタク」罪悪ですね。 『俺たちはあらゆる手段で精いっぱいやったあ〜〜』 くそっ!!

上のような「声」は、真摯な検討に値するのではないか? 今のマイナ要らない運動は、「看取り」、独りぼっちの闘いに追い込まれているのは事実ではないか?

ある程度のレベルの市民層は、マイナ保険証の危うさを感じている。積極的に賛成している人は少ない、と思う。

だが、マイナ要らない運動は、こうした人たちの声をくみ取り、自らの言葉で政治の場で発言できていない。なんでこんなに劣化してしまったのだろうか?

ウクライナは、ゼレンスキーがいたから、専制主義のロシアと闘えている。 一方、マイナ要らない運動は、専制主義の政府/議会への陳情では健闘しているものの、まともに闘えてはいない。

住基ネット要らない運動のときは、右左を問わず、幅広い人たちが参加できる橋頭保(足場)が築けていた・・。こうした過去を振り返ってみても、マイナ要らない運動にとり「幅広い人たちが参加できる新党(足場/フォーラム)の構築は、サステナブルな闘いに必要不可欠」である。

「評論家みたいなこというな!」と批判されることを覚悟のうえのアイディアであるが・・・・・。

マイナ違憲裁判闘争も同じだ。最高裁が「合憲」と判断するのがわかっているのに最後まで突っ走る。反マイナでサステナブル(持続可能)な闘いを望む者には迷惑である。身勝手なカミカゼ戦法は時代に合わない。まさに、自分らだけによる、囲い込み「反対オタク」罪悪の1つかも知れない。「合憲」「違憲」をはっきりさせないで賢く闘う戦略を採って欲しかった。

学者出身の団藤元最高裁判事は、1981年の大阪空港訴訟で、行政追従の司法・汚れた最高司法の姿をノートに記して、世を去った。4月16日のツイートでふれたように、最高裁判決の結論が、法務省(行政)出身の元長官の介入で、国側勝訴に覆ったのである。【詳しくは、2023年4月15日:最高裁の「闇」を暴いたNHK・ETV「誰のための司法か〜団藤重光 最高裁・事件ノート」放映参照】

三権分立の原則は、「司法」も国家権力、ということだ。こうした認識なしに、青いまま食べると、食あたりする。ただ、憲法訴訟だと、その影響は、食べた人だけにはとどまらない。

マイナ要らない運動は、既成政党頼み、国会からの玉音放送の中継、解説オンリーから脱皮しないといけない。新たな足場(新党)つくりが要る。マイナパンデミックにストップをかけるため、強いリーダーシップが問われている。